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2012年8月16日 (木)

教育現場についてちょっと思ったこと

まあ、昔からちょっと思っていたのですが。

学校の先生に、「教育」だけじゃなく、「学生(生活)指導」とか、「進路指導」とか、「カウンセリング」とか、「部活の監督」とか、その他もろもろ何でもやらせるというのは、ちょっと厳しくなってきているのではないだろうかと思った。

大学の教育学部で、どんなことを教えているのか、素人なので分からないが、(小さな)大学の教員の経験のある自分は、直前は大学院で研究ばっかりしてたので、例えば上の、「教育」以外は、まさに「ど素人」だけれど(というか、教育学部以外の卒業生は、たいていそうでしょ?)、雇われ人だから、「やれ」と言われて、断ることはできないし。
信じられないかもしれないけれど、大学では、(教授・准教授・講師などの)教員が高校への「営業」すらもやってるんですよ。
(で、無理が祟って、病気になったり。)

でも、特に最後の2つは、完全に「別もの」というか、専門家の方がよかろうと思う。
そうすると、例えば、スポーツ関係で進学した人たちにも、チャンスが増えるし。
スゴイ技を持つけれど、関節とか腱とか故障して、やむを得ずプロの道に進めなかった人にもね。

カウンセリングなんか、完全に専門の人(心理士とか)じゃないと無理だし。それも、かなり高度な、現在も研究が行われ、それまでの常識がいつ覆ってもおかしくない分野の勉強をしないといけない。今でも。
(なので、時には、現状に即しない、とんちんかんなことを言うセンセーもいたりする。)

まともな大学では、上のいろんなことを、完全分業制にして、効率を上げているところが増えているらしいし。
昨日、フェラガモの創業者の話をTVで見たが、「いい靴をたくさんの人に」届けるには、職人が全てを担当するのではなく、分業で「専門部分」だけを作るようにしたら、ずいぶん効率が上がり、量産できるようになったという話もありました。
(生徒は靴じゃない、という意見もあるでしょうが、ある意味「学校」という、40人くらい以上を一度に教えることが、現実的には「大量生産」だと僕は思ってます。「そうじゃいけない」と思って、クラスを30人くらいにするところも増えてはいるようですが、マンツーマンでないから、やっぱり「量産」ですよね。ま、効率はいいです。より多くの人に、「役に立つ」技術、知恵、知識を一度に伝授できるわけですから。すなわち、学費も安くなりますしね。)

そういう人たちを、一定数確保しておくことが大事なんではないかと。しかもそれは、人数の問題ではないと。
形だけ、取り入れるのではなく、「実効的な」方法を編み出し、効果的になるようでないと。
なんとなく、今の状態は、乱暴に言うと「ザル」かなと。すくう道具は作ったけれど、まったくすくいきれない道具であると。

だって、これだけ言われていても、いじめはなくならない、不登校も増える一方。
(それでも昔より、だいぶマシなケースが多くはなっているとは思うけれど。)
乱暴な言い方だけど、「ザル」をどれだけ作っても、なんにもすくえていないのじゃないのかと。(という自省から、新しいPhaseが始まるのかもしれないと思ったり。)
枠組みだけ作って満足する「オトナ(あるいはオジ(イ)サン)」は、もう引退する(か、引導を渡す)かしないとね。
(そういう「仕組み」もいるかな。)

どっかの裁判長の暴言も、どこか納得いく部分がある(と言うと、誤解されそうですが)ようにも思えます。枠に外れたら、それに対して誰も助けてくれないという社会は、間違ってますよ。本人は全く悪くない場合ですら、そうだから。(不登校に対する知見を深める努力や、(まともな)有識者の教育現場に対する啓蒙、指導も、足らなさ過ぎるように思う。上も下も、もっと深慮すべきだと思う。)

やるべきこと、キャパシティに対する仕事量を、うまく調節すれば、教員は、「教育」とか、「人間研鑽」に努める余裕ができ、本当の意味で「人間的」にもなれそうだと。(とは言っても、道を外れる人は、ある程度発生してしまうみたいですが、「油断しない」しくみも作らないと。例えば、教育発表会みたいな場で研究結果を発表することを義務付け、全体の役に立てるとか。)
ま、512MBしかメモリのないマシン(PC)で、Windows Vistaを動かしているみたいなものなのかなと言えば、分かりやすいんだろうか。(余計意味不明?)

まあ、トータルに人間的に優れた人が、教員となることが望ましいけれど、今のままでは、「なんでも」やらなければいけないこと、特に直接教育と関係のないことに忙殺され、やるべきことをちゃんとやれず、人間的にもおかしくなってもおかしくない(変な文。)と思うところもあるんですよね。

そういう意味で、僕にはもはや、教育現場に「戻る」元気もないし、より専門性が生かせる、塾とか、(例えばパソコン)スクールとかの方が、向いてるのかもしれない。

だって、人間ができてないんだもの、僕は(苦笑)。

ま、しくみを作ると、乱暴に言いましたが、要は適材適所と、さぼら(れ)ない方法作りなんて、企業では既に行われていて、それが学校組織だからできないというのは、単なる言い逃れと言えない事もないなと。

そういえば、前にドラッカーの本を読んでいて、昔、とある建築家の方が、ある建造物の「見えない」ところの彫刻に関しては、「支払いできない」と言われて、「神が「見ている」」と答えた、という逸話がありました。

見られてないから、サボろうとか、テキトーでいいというのは、言い訳だということですね。そのことで、せっかくのすばらしい仕事すら、台無しになることもあるということですね。というか、クビになっても、おかしくないということですね。

そういうことを、当たり前に考えられる人を育てるのが、本当の「教育」なんではなかろうかと思ったりしちゃったりして。

な~んてね。

(そんなことを考えたりするから、病気になるのかな。)

僕は、「天罰」は、絶対受けたくないと思うタイプです(笑)

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